人は何かを知ることや記憶した情報、知識を回りに伝達をする習性、本能が有ります。起源となる石器時代は、本来、動物であったことで、危険な所、食料、水、薬など仲間を助け、生き残るために最低限な情報、生活、共存、繁栄から始まりました。聞く側も絶対に聞き取り、完全に記憶に残しました。
現代は余りにも膨大な情報の中で、人は相変わらず習性で集め、詰め込み過ぎて、消化不良となり良い物、悪い物の判断が難しく、伝えられなくなっています。例えば大量の広告がありすぎるために、『今日は、このダイエット食品、明日はこのダイエット食品、あさっては・・・』となり、それではどれが?という判断が出来なくなっています。
そして、いくら 頭に情報が詰 まっていても、回りの相手に伝える方法、手段、相手が心開き聞く耳、体制となること、伝わり方のレベル、軽く伝わるより 心に強く残ることが重要 です。
人に伝える伝達者、表現者は心のメッセンジャーと言われる芸術家です 。
的確に伝わり心に残すことが出来れば、表現者としては一流、本物で目の前の人も回りも迷わなくなり、一人の人にインパクトを与えることで、その先に果てしなく広がります。(※ ただし画家の様に没後、有名になることもあります。
これも伝えることの難しさといえるのではないでしょうか)
的確に伝わると人は興味を持ち始め、その後は 自己学習能力 が高まることで人は自然と想像を超えた吸収力を持ち、 進化 し始めます、やはり、どんなに学習し知識を持っても 人に伝え、理解を得ることは別の仕事 です。
政治家の様な強い語りが信念の固まりに聞こえるのは、 言葉の伝え方、 パワーの重要性を物語っているといえるでしょう。
(芸術的学習とは)想像力中心の為、表現方法・答えは無限にあり、人間の一生の間に答えが出ない事も有ります。教え方、伝え方も広範囲ですが記憶に残す事、インパクトを与えることは強い学習です、そして人間本来の生き方の中で一番重要な学習です。
通常学習は理論的ではありますが丸暗記型で答えは一つで、インパクトが薄い為、伝え方、記憶に残すこと自己学習能力を高めることが難しいのです。
太古の昔、まだ情報そのものが少ない時代、伝わってきたメッセージ、情報は強いインパクトを持って、必ず記憶されました。
全ての情報が危険回避、衣食住など生きるための重要なメッセージだったからです。そして個々に入った情報は、伝わるという出口を持っており、人から人へ必ず伝わっていました。同じものを共有することで、仲間意識も生まれ、安心感を得ていたと思われます。
しかしながら、現代では、インターネットなどを介して情報の入り口は広くなりましたが、あまりにも膨大な量で、入ってきた情報全てを記憶することは不可能になっています。
大容量の情報の中から、本物の言葉、内容を見極めるのは大変難しく、その結果、言葉の本当の意味を図りかねたまま、個々の中で埋没してしまっていると言えるのではないでしょうか。そのような状態では他者に伝わるわけもありません。その結果、価値観は多様化し過ぎ、それぞれが互いの考えを知りえないため、不安感や、孤立感、が増大していると思われます。
膨大な情報化時代の今、伝えるということの難しさは計り知れず、言葉、音、香り、視覚、全てを使用しても的確に伝えることは難しく、記憶中枢にのこすということに至っては、皆無といえるでしょう。
又、周り、相手が真剣に聞き取る状況を作り出すことは、情報化が進んだため、興味が細分化されてきており、伝えるということをさらに難しい状況にしています。
つまり、記憶する事と、伝えることは一つでしたが、現在は別々の作業となってしまっているのです。
多くの学者は新しい情報を収集し分析、研究をしますが伝えることが出来ません。伝えることのプロは心のメッセンジャー、伝達者の芸術家です。